お茶の世界を離れて2年が経つMarkey(Markey_PV)です。
そんな私が久しぶりにお茶を点てたくなった映画、
日日是好日をご紹介したいと思います。
あらすじ
この映画、
エッセイストの森下典子さんが茶道教室に通った25年間の日々を、
エッセイとして綴った「日日是好日『お茶』が教えてくれた15のしあわせ」
を映画化したものだそうです。
Markey
まるこ
大学生の典子と従姉妹の美智子は、
大きなお屋敷に一人で暮らしている初老の女性、
武田先生の茶道教室にに通い始めます。
お茶の作法なんて全くわからない二人に、
細かい茶道の作法を教えていく武田先生。
大学を卒業した後、
社会人になった美智子は、数年後には会社を辞め、
田舎に帰ってお見合い・結婚をし、
子どももできてその地にしっかりと根を張った生活を送ります。
一方の典子は出版の仕事を求めつつも、
採用かなわずフリーライターとして生活していくこととなります。
結婚を約束していた彼氏の裏切りや突然の父の死など、
様々な人生の苦難にも遭いますが、
そんな中でもお茶のお稽古を続け、やがて
何でもない日々のなかでお茶を楽しめることの幸せを改めて感じていくというストーリー。
Markey
キャスト
この映画、とても良いキャスティングだと思いましたが
なかでも、主演と助演のこのお二人が
本当に素晴らしい演技・素敵な雰囲気を出されていたと思います。
武田先生役の樹木希林さん
Markey
まるこ
遺作、というわけではありませんが、
亡くなられて程なく公開された映画なので
やはり観ていて感慨深いものがありました。
お茶の先生があまりにも様になっていたし、
お点前をする手の動きもとてもなめらかで綺麗だったので、
お茶を嗜まれているのかと思っていましたが、実は未経験とのこと。
驚きです。
お稽古のなかで、何とも言えない間を持ってとつとつと語る武田先生。
鋭く突き刺さる、というよりは柔らかく包み込まれるように
ストンと腹に落ちるような教え方。
彼女の人生そのものが、「教えること」に体現されているような方でした。
主人公の黒木華さん
本当にお恥ずかしいのですが、
この映画で初めて知りました黒木華さん。
この映画は主人公の典子が20歳の時から始まり
干支が二周する24年間を映しているのですが、
Markey
20代のまだまだ彷徨って不安定なこころがよく現れた表情、
30代になって出てくる落ち着いた雰囲気とほのかな色気、
様々な体験やお茶のお稽古を通して得た佇まい、
そういったものがエンディングに向かうに連れて
どんどん重なっていくのが見えて、
「あぁ、こういう歳の重ね方をしたいな」
と本気で思いました。
女性は歳をとるに連れて、美しくなっていくのです。
五感で感じるということ
Markey
「意味なんてわからなくていいの。
お茶は先ず『形』から。先に『形』をつくっておいて、
その入れ物に後から『心』が入るものなのよ。」
お茶を経験されたことのある人は少しわかりやすいと思いますが、
お茶の作法はそれはそれは細かくて。
映画で笑い話のように出てくる場面は、
お茶のお稽古ではよく出くわす場面でもあります。
まるこ
「なんでこんな細かいルールが?」
と思ってしまいますが、
実はとても理にかなった無駄のない動きで
よく考え抜かれてつくりあげられた作法なのです。
でも、その作法のひとつひとつの意味を
お稽古の場で解説することはほとんどありません。
そこはきっと理屈を考えるのではなく作法を身につけること、
そして、身につけた作法に「こころ」を入れていくことに
重点が置かれているからだと思います。
「こころ」とは「感じとること」だと思います。
映画では、掛け軸や、お釜、お茶碗、御菓子などの茶道具、
茶室から見える自然風景を通して
四季折々の美しさがよく表現されていました。
そして「音」
雨の音、風の音、釜の湯が沸く音、柄杓でお湯を注ぐ音・・・
日常生活の喧騒の中ではなかなか感じることができないものを
茶室という特別な空間では感じることができる。
お茶というものは、
そういう自分の感性を研ぎ澄ますことのできる
特別な時間と空間なのだと思いました。
変わるもの、変わらないもの
日本には「四季」があります。
映画ではお茶らしく「二十四節気」を用いて描かれていて
その季節折々の景色を味わうことができました。
季節は巡っていくもの。
そして、繰り返えされていくもの。
お茶の世界もそう。
巡り巡って行くけれど、また1年前の季節のお点前に戻ります。
日々、目まぐるしく変化していく今の世界において
季節と同じように、変わらず繰り返していけるものって
少ないのではないでしょうか。
そして、繰り返される場所から眺めて初めて
自分の変化や成長を見ることができるのだと思います。
世の中には、
「すぐわかるもの」と、
「すぐわからないもの」の
二種類がある。
すぐにわからないものは、
長い時間をかけて、
少しずつ気づいて、わかってくる。
子供の頃はまるでわからなかった
フェリーニの『道』に、
今の私がとめどなく
涙を流すことのように
映画で象徴的に扱われている
フェリーニの『道』もそうなのでしょう。
幼い頃、理解できなかったことが理解できるようになる。
若い頃になかった感情が湧き上がってくる。
それが普遍的な名作からみる自分の変化なのだと思います。
お茶の世界もそう。
数年前に見た掛け軸と、今見る掛け軸とでは
受け取る感情が変わってくるかもしれません。
いや、もしかしたらいつ見てもいつ触れても
同じ感情を呼び起こさせるものもあるでしょう。
変わっていくもの、変わらずにあるもの。
どちらも大切で素晴らしい。
そして、それを感じる日常があること。
それこそが、「日日是好日」なのではないでしょうか。
教えるというアウトプット
ちょっと映画の趣旨とは離れますが。
最後の場面で、武田先生が典子に
今度はお茶を教える側になりなさい、と勧めています。
Markey
特に、理論的にではなく感覚的に学んだきたことを
人に教えていくにはどのようにしたらよいのか。
カタチを教えることはできるでしょうが
カタチで作った入れ物にこころを入れていく作業、
これをどう教え子達を導いていくのか。
そこは樹木希林さん演じる武田先生の所作、言葉に滲み出てくるように
その人のこれまでの人生やひととなり、が現れてくるものです。
これまでずっと内側の自分自身と向かい合ってきた感性が
きっと外側に向いていくことにもなるのでしょう。
新たな典子の成長を感じさせるような、
そんな映画の終わりでした。
最後に
私も十年ほどお茶を習っていましたが、
なんだろう、理屈とかロジカルには説明できな感覚的なお茶の良さ
みたいなものをとても綺麗に表現した映画だなと思いました。
繰り返しになりますが、
それぞれのキャストの演技もとても素晴らしくて
時の流れを感じさせます。
人生が年々変化していくなかで、
お茶の世界では四季折々のお点前を繰り返していく。
でも何度繰り返しても、新鮮な味わいがあるし、
自分の成長に合わせて新たな発見もある。
そういうことを、感じとることができること自体、
贅沢なことなのかもしれません。
お茶をされている方には勿論、経験ない方にも
お茶の雰囲気を味わっていただけるお薦めの映画です。