【命の学校】第3回講義は沖縄県立中部病院の高山義浩先生

9月より受講している講義があります。

沖縄大学 人文学部の樋口耕太郎先生が主催している
その名も「命の学校

詳しくはこちらを御覧ください。
〜介護、福祉、医療の現場から、命を学ぶ〜「命の学校」

第3回目は、私が仕事で大変お世話になった高山義浩先生でした。

今回も例によって「題名のない」講義。
3時間もの長時間を真っ白な白紙を講師がフリーハンドで
受講者に最も伝えたいことを話す、
そんな素敵な講義でした。

講師の高山義浩先生

Markey

最初に、講師の先生をご紹介

 

高山義浩先生

  • 福岡県生まれ、現在は沖縄県在住
  • 東京大学医学部保健学科を卒業した後は、フリーライターとして世界の貧困と紛争をテーマに取材を重ねる
  • 山口大学医学部医学科を2002年に卒業し医師免許を取得、国立病院九州医療センター、九州大学病院で初期臨床研修を受ける
  • 2004年より佐久総合病院総合診療科にて地域医療に従事
  • 2010年より沖縄県立中部病院にて感染症診療と院内感染対策に従事。また、三次救急病院の同院に地域ケア科を立ち上げ、退院患者のフォローアップ訪問や在宅緩和ケアを開始

その他、厚生労働省での実務経験もあり、
2008年より2年間、厚生労働省健康局結核感染症課において
パンデミックに対応する医療提供体制の構築に取り組んだ他、
2014年より2年間厚、生労働省医政局地域医療計画課において
地域医療構想ガイドラインの策定などを行いました。

群馬大学や神戸大学、琉球大学の医学部非常勤講師、
日本医師会総合政策研究機構非常勤研究員でもあります。
その他、沖縄県地域医療構想検討会議委員、
沖縄県在宅医療・介護連携推進事業統括アドバイザーなども務めています。

なんか、すっごい経歴だね

まるこ

Markey

いやホントすっごいのよ。 そして、本も出されています。

Markey

どれもとても素晴らしい本です!

なんで、こんな素敵な言葉を紡ぎ出せるんだろうと思っていたのですが、
自己紹介のなかでこんなことをおっしゃってました。

「私は旅人です」

確かに、かなりの回数の旅をされているようです。
その旅のゆく先々で、たくさんの景色を見て、多くのことを体験され、
そのひとつひとつを言葉に落とし込んできた積み重ねだと思います。

そんな素敵な高山先生の、3時間にわたる貴重なお話でした。

生活から学び、生活へと還元する地域医療を目指して

自己紹介から始まり、世界(主にアジア)の様々な地域の
地域医療にまつわるエピソードが出てきました。
また、2025年問題から考える医療の在り方、医療と介護の連携といった、
大きな視点での医療政策についての考察も話されていました。

お話が終わった頃には私の頭はパンク状態でしたが、
先生が話されたエピソードの中で印象に残ったものを3つご紹介したいと思います。

『死を待つ人の家』と『プラパットナンプー(死を待つエイズ患者を支援する寺)』

インドのカルカッタに、『死を待つ人々の家』があります。
ノーベル平和賞を受賞したマザーテレサの運営していた施設として有名だそうです。

そこでは、食事の時間、トイレの時間、そして水を飲む時間も決められています。
そして、高山先生はそれを
「ケアではなく、シスターによる支配」と表現しました。
(ここからは、Facebookより、先生の表現をそのまま引用します。)

シスターたちは、入所者につけいる隙を与えれば、
それは混乱のもとだと考えている。
たしかに、施設の外に出れば、そこは混沌(カオス)のインドだ。
それを恐れ、キリスト教的な秩序(コスモス)を望むのなら、
インド人である入所者は完全に支配され続けなければならない。
でも、これが悪循環をもたらしているんじゃないだろうか。
入所している120人の自主性を排し、支配するためには人手が必要となる。

そして、もう一つの施設を紹介しました。
タイのプラパットナンプーという、死を待つエイズ患者を支援してる寺院。
そこでは、食事も消灯も自由という
入所者がとても人間らしく生活をしている場所。
紹介された写真では、
ギターを弾く入所者の周りに輪ができている
とてもほのぼのとした光景がありました。

その施設は、入所者が入所者を支える
コミュニティーが形成された場所でもありました。
身体の自由のきく入所者が、末期を迎えている入所者の世話をする。
そこには将来の自分を見据えた「当事者」としての支え合いがあるのです。

・病院や施設のシステムに高齢所をはめ込もうとするなら、
そのような支援は、支援ではなく支配だ。

混沌(カオス)を恐れ、秩序(コスモス)を望むのなら、
 やがて悪循環に陥るだろう。支配には抵抗する、これが人間。

(講義資料より抜粋)

これは、医療の現場だけでなく、
社会の仕組み(システム)そのものに疑問を投げかけているように感じます。

今の社会は、産業革命から始まり
如何に効率的でシステマチックな仕組みをつくり
全てをコントロールしていくかということに注力してきました。

でも、コントロールすること自体大きな労力を費やしてしまっていることや
マニュアルだらで人間味が薄れてしまってた社会等、
このシステムを追求しすぎた故の弊害が出ていることも
認識していかなければならないのかもしれません。

システムよりもカルチャーを

Markey

システムを考えさせられた、もう一つのエピソードを紹介します。

沖縄県本島に北の端、伊平屋島でのお話。

島の集落に引かれている1本の白線。
島に独りで暮らす目の弱ってしまったおばぁが、
自宅からスーパーまでちゃんと道を歩けるようにと
その道筋を示すために引かれたそうです。

ムリだ、ダメだと諦める前に、
やったらいいんじゃないかと思えることをやってみる。
そういう柔軟さが(いろいろと制約の多い)離島の暮らしに、
温もりを与えているようです。

心温まる素敵なお話だね

まるこ

そう、離島ならではの豊かな暮らしを描いたエピソードだなと思いました。

でも、例えばこの心温まるエピソードでも、
それを「地域包括ケアシステム」という名のもとでは、
普遍的に実現しようとしてしまうのが、行政の危ういところ。
きっと私たち行政は、この白線を公平に(普遍的に)実現化しようと、
島のいたるところに白線を引いてしまうでしょう。
いつか白線を引くこと自体が目的化してしまう・・・

そして、システム化していくということは、
つくられたルールの中に齢者の生活をはめ込んでいってしまうことにもなる。

地域包括ケアというものは、
システムによらずとも高齢者がいきいきと暮らしていけるように、
個別性や多様性を容認できるカルチャーを見据える努力が必要
そして、システムとは本来、
カルチャーの豊かさを支えるためにあるものではないか。

そんなメッセージが込められたエピソードでした。

日本はこれから小さくまとまったコンパクトな国へ

中長期的な医療政策についての考察もありました。
これは、その冒頭に出てきた「前提としての」人口推移のお話。

前回の国勢調査でも発表されたように、
すでに日本の人口は減少に転じています。

そして、そのスピードはこれまでの歴史では類を見ない
極めて急激な減少となるようです。

そして、

人口構造の変化ほど明白なものはない。
いずれも見誤りようがない。
それらの変化がもたらすものは予測が容易である。

Byピーター・ファーディナンド・ドラッカー

と言われるくらい「間違いのない」未来予想図なのです。

これから迎える「日本国民一億人」は、
以前迎えた「日本国民億人」とは同じではありません。

同じ一億人でも

・人口が上り坂だった時代の1億人と、これから坂を下っていく1億人

・若い世代が多かった時代の1億人と、高齢化が進んでいる1億人

は違います。
言ってみれば、ジェットコースターの上りと下りの違いです。
見えている景色は全く別のものであり、進む先も違うはずなのです。

例えば。
ある村で、これから人口が増えていく見通しがあれば、
そこにあるスーパーは借金をしてでも売り場面積を広げていくでしょう。
でも、今後村が消滅していくかもしれないという予測のなかでは、
借金してまで売り場面積を維持しようという選択肢は取るはずがありません。

今、人口が確実に、しかも急激に減少していくという間違いない現実がある中で
大きな借金を背負い続け、経済を拡大させていくことが
果たして取るべき選択肢なのか。

今まで登り続けてきた坂道を、
今度は上手に転ぶことなく降りていく術を
考えていくことが大切ではないのか 。

そんな当たり前のことにハッと気付かされた話でした。

まとめ〜行政マンとして考えさせられたこと〜

紹介した3つのエピソードは、
一見どれもシンプルに「なるほど、そうだよね」と納得のいくものでした。

でも、私はそれらの話をきくたびに、ハッとさせられたのです。
当たり前の考えが、自分の立場に置き換えると当たり前でなくなる
そんなことに気付かされたのです。

・様々なことをシステム化(普遍化)していくことで、
よりよい社会をつくっていくという考え方。
・経済を活性化させ成長させていくことが
国(若しくは県)を維持していく上で必要不可欠だという発想。

これらの固定観念が私たち行政にはありがちです。
こういった認識を取っ払っていかないと、
今後私たちは大きな見誤りをしてしまうのではないかと、
そんな警鐘が私の中で鳴った今回の講座でした。

システムをつくることが行政の仕事のひとつではあるのですが、
そのシステムの土台をいまいちど見直していく必要があるように思います。